- 教科書に出てくる「庄屋(しょうや)」ってどういう人たち?
- セットで出てくる「名主」や「肝煎」とはどう違う?
- 「あの人の家は昔の庄屋さんだったから…」これって金持ちの家系ってこと?
この記事では、日本の歴史(特に江戸時代)で重要な役割をになっていた「庄屋」という制度についてくわしく説明いたします。
庄屋という珍しい苗字を見かけて気になったという方もいらっしゃるのはないでしょうか。
歴史上の役割に着目しながら簡単にわかりやすく解説しますので、ぜひ参考にしてみてくださいね。
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庄屋とはどんな意味?役割や仕事内容を語源由来から理解しよう!
庄屋とは、江戸時代に作られた地方の役職の一つです。
庄屋には大きく分けて以下の2つの役割がありました。
庄屋の2つの役割
- ①代官(江戸幕府の役人)に代わって村人の管理をすること
- ②村人たちの意見をまとめて、代官に伝えること
このような重要な役割を持っていましたから、庄屋は身分としては農民ですが、一般の農民よりも上位の階層とみなされていました。
当然ながら、庄屋は経済的に豊かな家庭が多く、ときには支配階級である武士よりもはるかに裕福な生活をしているケースもありました。
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地方によって庄屋の呼び方が変わる
こうした役割を持っていた庄屋ですが、西日本と東日本では、庄屋の呼び方が違うことをご存知でしょうか。
「庄屋」という呼び方は関西や北陸に多く、関東では名主や肝煎(きもいり)と呼ばれるケースが多かったのです。
「庄屋」の呼び方は地方によって違う
- 西日本(関西や北陸):庄屋
- 東日本:名主・肝煎
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庄屋という呼び名は、もともと「荘(庄)園の屋敷」という言葉から由来しているといわれています。
荘園というのは簡単に言うと有力な貴族などが自分の領地として持っていた土地のことです。
江戸時代よりもずっと前の、鎌倉時代よりも古い時代には京都の周辺が政治の中心でしたから、そのあたりには権力の強い貴族がたくさん住んでいました。
こうした名残りから、西日本では「荘園の管理者」という意味の「庄屋」がたくさんいたものと思われます。
(貴族は自分では領地を管理せず、自分の部下を派遣したり、地元の人たちを活用して領地を管理していました。長い時間をかけ、こうした人たちが「庄屋」になっていったのでしょう)
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庄屋の役目
庄屋の役目
- 年貢の徴収(これがメイン)
- 戸籍の管理
- 農村におけるトラブルの解決
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庄屋の主な役目は年貢の微収です。
自分が担当する農民たちを監督して、その人たちがきちんと役人に決められた年貢を納めているかどうかチェックする役割を負っていました。
他にも、今で言う戸籍の管理や、法令の村人への伝達や監視の役目もしていました。
戸籍というのは「いつどこで誰のところに子供が生まれたのか」という情報を管理する記録のことです。
(今は市役所に行けば調べることができますね)
この情報がないと、1つの村に働ける人がどれぐらいいて、年貢はいくらぐらいとれるのか?といったことがまったく分かりませんから、役人にとって正確な戸籍を調べることはとても大切なものだったのです。
また、庄屋は自分の村や周辺の村で何かトラブルや争いごと起きたときにも、その解決に奔走(ほんそう)したといいます。
江戸時代には人口の8割以上は農民で、支配階級である武士はたった7%程度しかいませんでした。
インターネットも電話も手紙もない時代ですから、これではまったく人手が足りない状態です。
そのため、武士は農民自身の中から代表者(これが庄屋)を選び、その人に細かいことを全部任せることで、農民の支配(年貢をとること)を維持したのでした。
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庄屋という苗字の人は名門家系?
庄屋の身分は百姓でしたが、地元の有力な農家(豪農:ごうのうといわれることもあります)が任命されていました。
そうした中には、もともとは戦国大名の家臣だった者も少なくないと言われています。
なので、庄屋は一般の農民よりは一段高い階層に属していました。
屋敷に門を構えたり、着衣や履物にも特例が許され、庄屋は苗字を名乗ることもできたといいます。
この記事を読んでいる方の中にも、ご自分や周りの過程に「もともとは庄屋の家系」という人がいるかもしれません。
もし、ご先祖様代々のお墓がある寺に「過去帳」というものがあれば、そこに系図や代々の当主の名前、戒名などが記載されているので自分の家系や苗字を調べることができますよ。
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庄屋はどうやって決めていたの?
庄屋(名主)を選ぶ方法は、個々の村々の慣習に任されることがほとんどでした。
代々同じ家が就任する「世襲名主制」や、1年ごとに交代する「年番名主制」、そしてこれらの「中間型」の3つがありました。
庄屋を決める方法は大きく分けて3つ
- ①世襲名主制 :1つの家系がずっと庄屋の役割を負う
- ②年番名主制 :1年ごとに庄屋を担当する家庭が変わる
- ③中間型の制度:①と②の中間的なやり方
また、庄屋・名主の選出には、村民による「入札」によって行われることも多かったといいます。
これは今でいう「選挙」のようなものですね。
庄屋となる人が優秀であるかどうかによって、その村で徴収される年貢の量が変わるようなこともありましたから、信頼できる優秀な人を選ぶ必要があったのです。
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庄屋とよく似た言葉の違いを解説!
以下では、教科書に出てくる、庄屋とよく似てるけどちょっと違う言葉について、それぞれの意味をを簡単に解説します。
具体的には以下のような言葉について理解しておくと良いでしょう。
庄屋とよく似た言葉
- 村役人
- 百姓代
- 五人組
以下、順番に見ていきましょう。
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庄屋と村役人の違いは?
村役人とは幕府の役人から委任されて地方の支配を行う役割で、庄屋・組頭・百姓代という3つの役割亜がありました。
村役人とは以下の3つの役割をまとめて言うときの言葉
- 庄屋(名主)
- 組頭
- 百姓代
村役人は地方によって「村方三役」や「地方三役」と呼ぶこともあります。
庄屋は名主、組頭は年寄(としより)や脇百姓(わきひゃくしょう)と呼ぶこともありました。
村役人とは、庄屋をトップにして村の政治をを担う人たちのことです。
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組頭や百姓代・五人組との関係
庄屋が村全体を代表する役割を持っていたのに対して、組頭はその補佐役、百姓代は監査役と言う役割を持っていました。
ただし、これらはそれぞれの地域によって内容が違うこともあります。
また、村の末端(まったん)の組織として五人組という制度がありました。
五人組の役割は、農民どうしがお互いに悪いことをしていないかチェックしあうことです。
五人組には連帯責任がありましたから、自分以外の4人のうち、だれか一人でも悪いことをしたら、自分自身も罰されてしまいます。
そのため、悪いことをしている人はいないかをおたがいに監督し、逃亡する人が出ないように気をつけていたのです。
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五人組は現在の日本人の意識にも影響を与えている
良くも悪くも現在の日本の社会は江戸時代の仕組みから影響を受けています。
なので、現在の日本人の「みんな一緒じゃないとだめ:横並びじゃないとダメ」という考え方は、この五人組のルールにルーツがあるといえそうです。
一方で、五人組には良い面もありました。
もし病人が出たり、年貢を納めることができない人が出てきたりした場合には、その五人組がお互いに助け合って解決するように努力したのです。
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まとめ
今回は、庄屋(名主)の歴史的な意味や役割について解説いたしました。
今回調べていただいた内容をきっかけに、ご自分の自分の苗字や家系に興味が持ってくれる方がいらっしゃったらうれしく思います。
江戸時代の仕組みを知ることは、現在の日本の社会を理解する上でもとても役立ちますから、ぜひ興味を持って調べてみてくださいね。
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